培養肉は地球や人類を救う可能性を秘めていると考えられています。こちらの記事ではそんな培養肉のメリットを森林破壊と畜産業の関係から検証します。
2019年にハリウッド俳優のディカプリオさんとブラジルのボルソナロ大統領がアマゾンの森林火災をめぐりSNS上で舌戦を繰り広げたニュースはまだ記憶に新しい方も多いのではないでしょうか(*1)。議論の的となったアマゾンの森林火災の主な原因は農地や放牧地を拡大するための人為的な放火だといわれています。アマゾンの熱帯雨林の消失面積は急拡大しており、2020年は過去12年間で最悪となりました(*2)。
一方でブラジルのGDPはプラス成長とマイナス成長を繰り返しており経済状態は低迷しており(*3)、経済発展を優先させたいボルソナロ大統領の思惑があります。そんな経済対策として特に近年ブラジルでは畜産業の発展に力を入れており、食肉生産量が拡大しています。具体的には以下のように食肉生産量が伸びており、この傾向は今後も続いていくと考えられます。(*4)。
2010年 | 2015年 | 2021年 | 増加率 | |
---|---|---|---|---|
牛肉 | 912万トン | 943万トン | 1,047万トン | +15%(2010年比) |
豚肉 | 320万トン | 352万トン | 428万トン | +34%(2010年比) |
鶏肉 | - | 1,315万トン | 1,415万トン | +8%(2015年比) |
ブラジルは牛肉の生産量だけでなく輸出量も伸ばしており、2018年には世界の輸出量の約20%を占めるまでに達しました。2028年までに輸出量は290万トンに達し、世界の輸出量の約23%を占めるようになると予想されております(*5)。
このように畜産業が発展していくと今後どのようなことが起きるのでしょうか。世界的な畜産業の発展が森林に与える影響と培養肉のメリットを検証していきます。
*1:産経新聞
*2:AFP BB News
*3:世界銀行
*4:statista(牛肉、豚肉、鶏肉)
*5:アメリカ合衆国農務省
1. 農業が支える畜産業
1970年に37億人だった世界人口は2019年に77億人に達し、2050年までに約100億人まで増えると予想されています。1961 年から2020年までの60年間で人口は約2倍になった一方で、食肉消費量は約5倍も増加しました。2018年の世界の食肉生産量は3億4,000万トンで、直近の20年間では約50%増加しました(*6)。食肉消費と所得水準には正の相関関係があり、今後も新興国を中心に人口増加と所得水準向上の相乗効果で食肉需要及び消費量が伸び続けると考えられます。もし過去20年と同じペースで今後も食肉生産量が伸び続けるとしたら、2050年に6億トンを超えることになります。
伸び続ける世界の食肉需要を満たすには家畜を殖やさなければなりませんが、家畜を育てるにはエサとなる飼料が当然必要となってきます。
飼料には「粗飼料」と「濃厚飼料」に分けられます。粗飼料は牧草、ワラ、ススキなどの草をもとに作られたエサで、家畜の主食にあたります。一方、濃厚飼料はトウモロコシ、麦などの穀物をもとに作られたエサで、家畜の主菜にあたります(*7)。要するに粗飼料は人が食べることのできない資源ですが、濃厚飼料は主に人が食べられる穀物が使われています。
日本では濃厚飼料と粗飼料は約「8:2」の割合で使用されており(TDNベース*8)、濃厚飼料が圧倒的に多く使用されていることが分かります。また、日本の特徴として粗飼料の自給率が75~80%なのに対し、濃厚飼料の自給率は10~15%しかなく、濃厚飼料は90%近くを輸入に依存しています。具体的に濃厚飼料として毎年使われている穀物量はトウモロコシが1,152万トン(濃厚飼料全体の48%)、コウリャン(モロコシ)が51万トン(同2%)、その他穀物が231万トン(同10%)となっており、日本は濃厚飼料の約半分をトウモロコシが占めているのです(*9)。
この1,152万トンのトウモロコシを生産するには約130万haの農地が必要だと試算されており(*10)、これは長野県(人口約200万人)の面積とほぼ同じ大きさになります。日本の家畜が食べるトウモロコシをまかなうためだけに、これだけの多くの農地が必要となるのです。
それでは、家畜が消費する穀物量は人と比べるといったいどれくらいになるのでしょうか。実は日本の家畜の穀物消費量は既に日本人の穀物消費量を上回っており、2019年に日本国内で人が消費した穀物は約1,300万トンなのに対し、家畜が消費したのは1,470万トンにも上りました(*11)。つまり日本の家畜は日本人より10%以上も多くの穀物を消費しているのです。このように家畜が大量の穀物を消費しているのは日本だけの話ではありません。
2002年に世界中の家畜が消費した穀物量は6億7,000万トンでした。これは同年の穀物生産量の約3分の1に相当します(2002年の穀物生産量は20億5,400万トン*12)。その他、油粕・イモ類・ふすま・豆類・魚粉を合わせて約5億トンが家畜の飼料として消費されており、合計約11億7,000万トンが濃厚飼料として消費されました*13。人間が利用できるこれだけ多くの資源が家畜のエサとして消費されており、もはや農業は人間よりも家畜を支えるための産業となっているのです。
畜産業というと家畜が牧場で牧草を食んでいる牧歌的な風景を思い浮かべる人が多いかと思いますが、実態はそのようなイメージとはかけ離れているのです。
*6:Our World in Data
*7:矢野畜産
*8:TDN(Total Digestible Nutrients)とは「可消化養分総量」を指します。(参考:酪農PLUS)
*9:農林水産省 北海道農政事務所(2019年)
*10:農林水産省 生産局畜産部(2008年)
*11:e-Stat
*12:FAOSTAT(国際連合食糧農業機関統計データ)
*13:国際連合食糧農業機関『Livestock’s Long Shadow』
2. 森林を侵食する畜産業
地球の土地面積は149億haありますが、そのうち人間が利用できる土地は104億haです(残りの45億haは氷河や砂漠など人間が利用できない土地です)。この104億haのうち人が食料を生産するために利用されている農地や放牧地が51億ha(50%)、森林が39億ha(37%)となっています。
驚くべきことに、この食料生産のための51億haの土地のうち肉や乳製品を生産するために利用されているのは40億ha、人が食べる農作物を育てるために利用されているのは11億haとなっています。つまり、食料生産のために利用されている土地の約80%が肉や乳製品を生産するために利用されているのです。しかしながら、残りのたった約20%の土地で生産されている農作物が人の必要とするカロリー供給の約80%、タンパク質供給の約60%を賄っています(*14)。
冒頭でも述べた通り、世界では今後更に食肉消費量が増加していくと予測されており、何の対策もしなければこの歪んだ土地利用が更に進行することになります。畜産業を支えるための農地や放牧地を増やし続けるには、森林を転用していくしかありません。正にこの点をディカプリオさんは警告していますが、皮肉なことに世界最大の熱帯雨林アマゾンのあるブラジルは世界最大の畜産業・農業国としての立場を確立しています(*15)。ボルソナロ大統領は更にブラジルの畜産業・農業国としての立場を推し進めようとしているのです。
それでは実際、森林はどのくらい減少しているのでしょうか。1990年から2020年の30年間で約1億7,800万haの森林が減少しました。これは日本の国土面積(約3,800万ha)の5倍に相当します。しかしこの間に自生や植林により2億4,000万haの森林面積が回復しました。つまり森林の回復を考慮しなければ、過去30年間で約4億2,000万haの森林が消失したことになります。これは日本の国土面積の11倍にも相当します。非常に広大な面積の森林が人類の活動の影響を受けていることが分かります。全体的にみると、1990年~2000年の10年間は平均して毎年780万haの森林が減少していましたが、そのペースは2000年~2010年の10年間で毎年520万ha、2010年~2020年で毎年470万haまで減少しました。約20年間で森林減少のペースが40%程度改善されたといえます(*16)。
全体的な森林減少のペースが改善されましたが、生物多様性の宝庫といわれている熱帯雨林、亜熱帯雨林の森林破壊は深刻な状況が続いています。2000年から2018年にかけて、森林破壊の3分の2は熱帯雨林、亜熱帯雨林で発生しました。特にラテンアメリカ、サブサハラアフリカ、東南アジア、オセアニアといった地域に集中しています。これらの地域では2004年~2017年の14年間で4,300万haもの森林が消失しました。この期間にブラジルでは1,550万haの森林が消失しました。これは2000年時点のブラジルの森林面積の15.4%に相当します(*17)。このような危機的な状況で、いつまでボルソナロ大統領は楽観的でい続けるのでしょうか。
*14:Our World in Data
*15:中央開発株式会社
*16:国際連合食糧農業機関
*17:WWF(2021年)
3. 培養肉が変革者となるか
増え続ける肉の需要を満たしつつ、農業・畜産業の歪んだ土地利用を是正するにはどうしたらいいのでしょうか。有効な解決策は「培養肉」であると考えています。
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オックスフォード大学の研究者ハンナ・トゥオミスト氏が学術誌『環境科学&技術』に発表した2011年の研究によれば、培養肉が必要な資源の量は従来のヨーロッパ産の肉と比べてエネルギーが最大45%、温室効果ガスが最大96%、土地利用面積が最大99%、水量が最大96%少なくてすむと試算されました(*18)。単純計算ではありますが、これを上述の40億ha(肉や乳製品を生産するために利用されている面積)に当てはめてみると、全世界で生産される食肉量を培養肉で置きかえれば4,000万haの面積だけですむことになります。これは日本の国土面積(約3,780万㎢)とほぼ同じ程度の大きさとなります。培養肉が普及すれば、世界人口増加に伴う食料問題は解決できるように思われます。
しかし未だにほとんど市場に出回っていない培養肉は、世界人口が100億人に達すると見込まれる2050年までに畜産肉に取って代わることはできるのでしょうか。残り30年足らずで畜産業・農業を根底から変えるような変化は本当に起こせるのでしょうか。畜産業界だけの問題ではなく、畜産業者に飼料を供給してきた農業界、家畜用の抗生物質を供給してきた医薬業界、農業者に農薬を供給してきた化学業界、飼料用の遺伝子組換え作物を含む種苗を供給してきたバイオメジャー、農業機械を供給してきた農機業界など影響は多岐に渡ります。これだけの変革に反発がないはずがありません。
しかし人類はこれまで産業を根底から変えるような変革をいくつも経験してきました。かつて馬への虐待で批判があった馬車業界を時代遅れとしたヘンリー・フォード(自動車)、年間8,000頭が捕鯨されていた鯨油業界を時代遅れとしたエイブラハム・ゲスナー(ケロシン)。フォードやゲスナーは19~20世紀にたった20~30年間で大きな変革を起こりました。パソコンもインターネットもない時代にこれだけ劇的な変化が起きたのです。いつの時代も科学技術の進歩が急速な産業構造の変革をもたらします。今後、培養肉も歴史に名を刻む変革者となるのでしょうか。